本日、午後は、地域の訪問も行いましたが、午前中は、「国際交流まくはり」主催で、幕張公民館にて片田敏孝教授の「大規模災害にどう備えるか~命を守るための防災」と題して、講演が行われ、参加しました。
撮影、録音はできないという事だったので、ご本人の写真がありませんが、群馬大学大学院理工学府の教授ですが、防災問題を研究テーマとして講演をしているとのこと。
講演内容とその後の懇談の様子を混合して報告しますが、ご容赦ください。
本来は、公共事業の評価論を専門としている先生ですが、災害を前に、巨大な防波堤を設置しても、太刀打ちできない状況を目の当たりする中で、防災の問題について対応する必要性を痛感したとのこと。
「災害社会工学」の第一人者として奮闘されています。岩手県釜石市で、6500人の人口で、4千人が津波の被害を受けた地域を紹介し、今回、津波を逃げる必要性について説明した結果、約3千人もの人たちが1.7キロ離れた高台に避難できたことを紹介してくれました。
(津波の必要性を中学生に講演した後、中学生は、津波の危険性、逃げることの必要性をPRするキャラクターになったり、津波の石碑周辺の清掃をしたり、小学生や保育園児と日常的につながりを持ちコミュニケーションを取り、避難がスムーズにできるようになったこと。独居高齢者を訪問し、20分で避難するよう説得し、一緒に避難できるように尽力したことが、結果となったと話されました)
片田さんは、東北地域の津波の被害が多かった地域に、東日本大震災が起こる前から、津波での避難の必要性を自分で講演して回って訴え、なかなか関心を持ってもらうまで大変だったと話されていました。
2人の子を持つ母が、長男が次男を連れて避難していましたが、母はそれを知らずに、次男を探していたため、波にのまれて命を落としたとのこと、自分の命より、子どもの命を想う親、探していたために命を落としてしまった無念さを、思うと、涙が止まりませんでした。
震災が起きた時に、家族の安否を気遣うことは、もちろんだけれども、それぞれが自力で逃げる事、その上で、また家族が結集できることを日頃からよく相談しておくことの重要性を訴えていました。
家具転倒防止金具の必要性を訴え、その正当性はわかっていても、実際に設置しているお宅は少ない。けれど、「自分の親が、家具の下敷きになって津波が来たらどうするか。子ども自身が下敷きになったら、親にどう話すか?」こういう質問を教室で子どもたちに考えさせ、「下敷きとならないように防ぐためには、金具が必要だね」と話したところ、ホームセンターで売り切れる事態になったというエピソードも紹介してくれました。
和歌山県で避難所計画を3段階に位置付け、公表したところ、住民自らが、竹藪の道を作って、少しでも安全な避難所になるように取り組んでいることが紹介されたり、南海トラフで、34.4メートルの津波が想定された黒潮町では、ピンチをチャンスととらえて、「黒潮町WE CAN PROJECT」と題して、保存食の缶詰を地元で作り、消費し、雇用するなど津波の高さをアピールしながら、地域経済の活性化をはかる取り組みなどが紹介されました。
今回は、自民の川村議員、植草議員と私が参加しました。講演終了後、片田先生を始め関係者の皆さんと食事をしながら、意見交換などをしました。
私からも、津波で避難した子どもたちについての本を以前ブログで紹介したことを話し、今後に生かしていく必要性と、防災のシンポジウムをした際の災害弱者への対策の必要性、狭隘道路での消火活動の対策など発言させていただきました。
3.11の津波の映像を見て無力感を感じていましたが、こうして震災の前から、防災教育に尽力していた先生がいたこと、震災の時の家族を想うそれぞれの気持ちに思いを馳せると、涙がこみ上げてきました。
地域で、議会でそれぞれの立場ですべきことがあると痛感しました。今日は、招いていただき改めて防災問題を取組まなければならない思います。関係者の皆さん、大変お世話になりましてありがとうございました。